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石と宇宙(ソラ)のお話

倭の国

2004年6月28日(月)
ヤマタイコク物語(2006年12月15日追記)

3)【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。

ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。
ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。

一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星はジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。
その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)

みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)

けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)
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2004年5月11日(火)
倭の国、イシカミの誓いの語録=イチゴ、曲がった刀。 

2004年5月11日 真夜中突然目が覚めて。

「それはひどい事になりました。突然蘇我が攻めてきたのです。
シロ、シロ、城のような建物ではなく平らな家? でしたので、すぐにやられてしまいました。
(倭の国の者は) 戦いはしなかったので、 (一部の人を除いては?) 武器はほとんどありませんでした。家は焼かれ、男は殺されてしまいました。
何もかも奪われてしまいました。
イカルガという名前だけでなく、(中国?の) 土産もヤマトは持ち去ってしまいました。
なぜ倭の国というかというと、ヒミコが “ワ=輪” が大切と最初に “ワの文字” 
を作ったからです。
【倭】 = ワの漢字の形は
“(白い)木 = 稲妻 =ホシノミナにイノる女”  の形を集めて作られたのです。
(以前はイナホの女、と伝えられましたがその一面もあるそうです。すなわちイネを作った国の女)
“輪 (和) をもって貴しとする” と (聖徳太子が言っているのは)  ヒミコの言葉を
盗んだのです」 寝る。

「シブガキの戦いなのです。
(物部と蘇我の戦いは “渋河の戦い” と言われている)
猿かに合戦で、カニが育てた柿を猿が取り上げて、渋柿だけをカニに投げつけることからきているのです。
(猿 = 蘇我、 カニ = イシカミをあらわしそれを大切にした倭の国のもの)に名前を付これまで大切にしていた物を取っていったことから名づけました」

(山口県に 『渋木』 という地名があり、そこで決戦が行われたようにいわれるのは、道真がこの事を伝えるために名前を付けておいた? 渋カ木)

「七支刀が朝鮮から送られてきてから、支配星に狙われるようになったのです。
七支刀の形の本当の意味は、稲妻 = ホシノミナをあらわしたのですが、北斗七星と間違ってそれに力を求めるようになったからです。
巧妙に仕組まれたのです」

(綾部市に青野という地名があり、遺跡が沢山ありますが、そこは)
「アホノと呼ばされたのです。
その意味は “アホによし” という言葉からつけられたのです。
嫌だといっても、言うとおりにしないと蘇我が攻めてくると脅かされたので、 泣く泣く付けたのです」
(青に良し  奈良の都の・・・・歌はありますが、意味は今はまだわかりません)

【ビジョン】
“かぼちゃ、たまねぎ、栗” (はいずれもイシカミの形をあらわしている)  
最後に真っ赤な “イチゴ” が現れる”

「イシカミの誓いのゴロクのお話をしてください」 と。
アメリカのグランドサークルを回っている時、平らな岩山の上に、丁度鏡餅のような、お供えのような岩が点々と置いてありました。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20030429233904

その時に
「《イチゴ》 とは、イシカミの誓いの語録 【イシカミのチカイのゴロク】 の事なのです。
あれ (私市円山古墳) がそうなのです」
と伝えられました。

意味がすぐにはわからなかったのですが、円山に丸石を並べた形が、イチゴをあらわしているということでした。
イチゴの粒々は種のようであっても種ではなく、粒々からは決して増えていかない。
(根元からランナーが出て増えていく)

「なんとしてもイシカミを世に出して欲しいので、お知らせしたのです」  と。

「【曲がった刀】 がなぜあるかというと、あれは石の刀の代わりで、人を切るものでないという事を知らせたのです。
石の刀は、イシカミの遺体が軟らかい時に切り取って、石槍などを作っていました。
けれどイシカミが岩になったので、鉄で斧などを作りましたが、 (製鉄をしていると) 刀などの武器を作ると間違われるので、曲がったものを作っておいたのです」
http://www.kisnet.ne.jp/~matikado/index2.htmlhttp://www.kisnet.ne.jp/~matikado/index2.html
http://www.kisnet.ne.jp/~matikado/koukosanpo.html#1-0

ちなみに
中国の文献に “倭の国” と書かれているのは、中国から見れば日本列島の国はどこでも倭の国と思っていたので、九州の国から来た使者も “倭の国” と思ったようです。
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2004年3月7日(日)
続・倭の国、福知山、東海沖地震。

昨日の “倭の国” の情報について、これまでの文献などとあまりに違いすぎるというご意見を頂きましたが、そのことに対して。

「倭の国とは、 由良川沿いの国だったのです。
当時は船の交流が盛んで日本を代表していました。
(由良川では、近年まで船の交流が福知山までありました)
なぜ証拠となる物が残っていないかというと、宝物など贅沢な物はあまり交易していなかったからです。
この地の人は殆んど皆平等で、階級の差が少なかったからです。
後半には珍しい物も買うようになりましたが、それらは全てヤマトへ持っていかれ、館という土地の名前しか残っていないのです」

(物部町の近くの綾部市館町で、私市円山古墳の近くにある)
http://www.kisnet.ne.jp/~matikado/koukosanpo.html#1-0
由良川沿いということは、綾部盆地、福知山盆地合わせた地域です。
福知山とは、【山=イシカミを知る事は福】 と言う意味だそうで、
トヨウケが (テレパシーで) 教えたそうです。


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